Fujimi Life

ふじみキリスト教会と南カナンハウスでの日々の出来事を綴っていきます。

アドベント〜待降節〜

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来週からアドベントが始まるので、今年も礼拝堂に飾るリースをy姉とk親子が作ってくださいました!

 

ふじみ教会のリースは、本物の木での手作りなのです。

教会の駐車場の木をk牧師にきってもらい、

2時間後には、素敵なリースに変身です。

 

k姉によると、リースの緑は永遠、リボンの赤はキリストの血という意味があるそうです。

 

チャペルに心のこもった素敵なリースが飾られました。


リース作りの隣ではクリスマスツリーを作りました。

 

今年は雰囲気を変えて、ブルーで統一してみました。意味は特にありませんが(笑)、イメージとしては夜空に輝く星たちでしょうか!

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アドベントは日本語では待降節といいます。

クリスチャンにとってクリスマスまでの待降節は、良き知らせを待ち望む時、大切な時間です。

 

森下辰衛という人が、「瞬きの詩人 水野源三の世界」という文章のなかで、待つことについて書かれているのを読みました。

 

『「待つこと」は、訪れを待つことです。春の訪れであったり、人の訪れであったり、知らせの訪れであったり。いずれも、そこには確かにして良きものへの期待(ある時には恐れであったとしても)と信頼があります。神という最もよき人格が、計画された秩序の通りに訪れを与えてくださること。それを摂理といいましょう。だから「待つこと」は、摂理の伴った楽しみです。」

 

「源三さんは、苦しみからの解放ではなく、眠りの平安でもなく、朝の光を待ちました。その方にささげる詩と、その方が来てくださることだけを待ちながら、あの信州の片田舎の夜の布団のなかで、待つことそのものになってゆくとき、彼の中に、朝の光といのちの声を受けるにふさわしい心の耳が整えられてゆくのです。それは単なる朝以上の、人間そのものの夜明け、また再臨の希望でもあるような朝。そんな朝の光が見え始めるようです。」

 

待つことの楽しみと、苦しみを思います。

そして自分は本当に待つことが苦手だなぁと思います。

すぐに手に入れたい、すぐに答えがほしい、そんな気持ちに振り回されてばかりの者です。

でも、待つことの本当の意味を考えるとき、やっぱり少し慰められるような気持ちがします。

その人が誰の目から見ても苦難のただ中にあったとしても、依然として自分の周りが暗闇であったとしても、「確かにして良きもの」の訪れを待ち続ける中で、人は本当に待つべきものを見出し、そこへとふさわしく整えられていくのでしょう。

 

今年のアドベントは、そんなことを思い出しながら迎えています。

 

「夜明けを待つ」水野源三

 

歯が痛む夜

咳が出る夜

けいれんが起こる夜は

夜明けが待ち遠しい

あと五時間

あと四時間

あと三時間と

夜明けを待っている

主よと呼びながら

朝の光

雀の声を待つ

 

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